曽根崎行政書士事務所は、板橋の中山道沿いにあるマンションの一室にあった。
「ここってどう見てもマンションだけど、本当にここでいいのかなあ?」
カンナは一抹の不安を感じながらも、101号室のインターホンを押した。するとドアが開いて中から30代半ばすぎくらいの軽快なノリの男性が出てきた。
「おう!右原くん。ま、いいから中に入ってよ。今ちょうど事務所の連中も帰ったとこだからさあ。気楽にしてて」
そう言うと、曽根崎はドアから入ったところの一番手前にある「応接室」にカンナを案内して、いったん奥の部屋に何やら作業をしに戻って行った。どうやらこの男性が曽根崎事務所の所長さんらしいとカンナは察知した。応接室の本棚を見回すと、たくさんの本が置いてあった。
「『建築基準法詳解』『交通事故の法律』『契約書式の作成全集』『公正証書モデル文例集』それに、『税務調査の実務と実例』『商業登記の手続き』なんてのもあるんだ」
カンナがソファーにちょこんと座って本棚を眺めながら15分ほど待っていると、曽根崎が缶コーヒーを2つ手に持って入ってきた。
「いやあ、ごめんごめん。ここ数ヶ月間、猛烈に忙しかったんでね。この数ヶ月間にきた履歴書58通をこの前まとめて書類選考したんだよ。そこで右原くんが当事務所の書類選考に合格したわけだ。おめでとう!」
「はあ、ありがとうございます」
「で、右原くんは今、どんな会社受けてるの?」
「信託銀行とか、都市銀行とか・・・」
「何でそんなに銀行ばっか受けてるんだ?」
「実は去年の暮れに、父の経営していた街工場が倒産してしまったんです。それで、それなら私が父の会社に貸し渋りをしていた銀行の内部に入って、父のような会社を一つでも助けたいと思って・・」
「そうだったのか。それは大変だったな。でもな、右原くん。銀行に入ったところで、今度は君が第二、第三のお父さんの会社を作る側に立つだけだ。そういう問題を根本的に解決したいのなら、経営者に実社会を生き抜くための知恵をつけさせてあげることの方が有効なんじゃないか?もし君が本気でそういう知恵をつけたいのであれば、どうだ、俺んとこで働いてみないか?ウチで働けば、普通の会社で10年かかることを1年で経験することができるぞ。時給は800円だが、それ以上のものを学べることは、俺が保証する」
こうしてカンナは、その次の日から曽根崎事務所で働くことになった。
大学の授業は、週1回のゼミと専門科目2科目を残すだけだった。
そこでカンナは、ほとんど毎日曽根崎事務所に“出勤”した。
事務所には、曽根崎のほかに、パートの事務員の主婦が毎日交代で2人来ていて、税理士試験を勉強中の常田(ときた)晃という30歳の男性が一人、行政書士の資格を持っている音(おと)無(なし)一朗という30代半ばの男性が一人いた。
曽根崎は行政書士のほかにも税理士や社会保険労務士の資格も持っていたが、実際に登録していたのは行政書士だけで、
「行政書士の資格でできることは境界線ぎりぎりのところまでやる」
ということが信条らしかった。
しかし実際は、“境界線”を無視した業務もかなり行っていた。特に弁護士業務と税理士業務の境界線は、大学生のカンナの目から見ても“越えまくって”いた。
税理士業務では、曽根崎が自動車販売会社の営業マン時代に知り合ったという、足立区の自宅で開業している40代の女性税理士と提携して、60社ある顧問先企業の決算や税務調査にまで踏み込んでいた。
曽根崎は税務署内の人事を徹底的に調べ上げていて、法人税の追徴税額を低く抑えては、よく顧問先の会社に喜ばれていた。
また、不動産の競売物件の落札代行を業務の一つとして手掛けていた曽根崎事務所では、占有屋の追い出し工作など、一歩間違えば弁護士法に触れるぎりぎりの業務もしていた。
しかし、曽根崎は弁護士や司法書士との豊富なネットワークを駆使して、隣接士業とのぎりぎりのところになると、そうした他士業者たちに上手く仕事を振っていた。
さすが曽根柄は元トミタ自動車のトップセールスマンだっただけのことはある。カンナの目には、曽根崎が単なる行政書士ではなく、最強のコーディネーターであるように見えたのだった。
■主な登場人物紹介
■「行政書士の花道」あらすじ紹介
■カンナの行政書士開業Q&A
■「行政書士の花道」トリビア
